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制度で支え、制度の外で遊ぶ ・ 知的障害のある人の地域での暮らし
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投稿者: hibinokurashikanri

告知

オンラインシンポジウム 知的障害者の自立生活 これまでとこれから

Posted on by hibinokurashikanri / 0件のコメント

「知的障害のある人の自立生活を考える会」は、知的障害のある人が、他の者と同様にどこで誰と生活するのかを選択できる社会の構築を目指して活動しています。  当会およびその前身である「自立生活声明文プロジェクト」では、2017...

ヒビノクラシ富士見台カフェ/告知

須賀隆介・佐藤悠生 二人展

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2024/12/7(土)~8(日)、14(土)~15(日)  12:00~18:00(土日2日間を2週間)場所 ヒビノクラシ富士見台カフェ 展示説明: 練馬で自立生活を送りながらイラスト制作を続ける須賀さんと、アトリエグ...

ヒビノクラシ富士見台カフェ/雑文

ハプニングの花咲く食堂「土曜日のスプーン」

Posted on by hibinokurashikanri

 ヒビノクラシ富士見台カフェでは、毎週土曜日の12時から17時まで、食堂「土曜日のスプーン」をやっています。野菜を中心としたご飯、甘さ控え目のデザート、ドリンク、すべてスタッフが手作りする、美味しくて体に優しい料理をご用...

自立生活支援のご相談

知的障害のある人の自立生活支援に取り組みたいとお考えの支援者の方、事業所の方、自立生活支援について詳しく知りたい方、お気軽にお問合せください。

介護者募集

ヒビノクラシの自立生活支援に関心のある方。
勤務地は練馬、世田谷、杉並等。
時給1600円~(深夜22時~5時 時給2000円~)
交通費別途支給、各種手当あり。

お問合せ

☎03-6755-7837
✉hibinokurashisya@gmail.com

ヒビノクラシ富士見台カフェ

hibinokurashi_fujimidaicafe

ヒビノクラシ富士見台カフェです。西武池袋線 富士見台駅 徒歩5分。毎週土曜日にドネーション食堂「土曜日のスプーン」をやっています。ギャラリーやイベントスペースとしてもお使いいただけます。主に知的障害のある人の地域での暮らしを支援する「自立生活支援ヒビノクラシ舎」のスタッフが運営しています。

ヒビノクラシ文庫から本の紹介その10 ヒビノクラシ文庫から本の紹介その10

人生の軌跡を長い目で見れば、ジグザグのように見えて一直線の場合もあり、まっすぐ迷わず進んできたはずなのに大きく湾曲していることもある。寄り道のつもりだったのが案外近道だったり、最短距離だと思って選んだ道が行き止まりになってしまうこともある。なにが近道でなにが遠回りなのかは、人生の最後になってみないとわからないのだろう。きっと。空は広く、道はない。紆余曲折。試行錯誤。なんでもいい。それでも行きたいと思っていた方向にいつか人生は収束していくのだと、どこかで深く信じていたい。(「人生の軌跡」より)

前回紹介した、川上弘美さんの「森へ行きましょう」の流れで、宮地さんのこれを。まんまピーズの世界観「サイナラ」「ノロマが走っていく」だなと思い、ついついチャットGPTで「宮地尚子、ピーズ」で調べてしまったり。ほんとうに素晴らしいエッセイ集です。

「約束」とはそれ自体が一〇〇パーセント守られる保証はなく、夢であり、祈りであり、希望であり、信じることである。「約束」は、双方的な関係の中でのみ成り立つ。約束する側でなく、約束される側がそれを受け入れ、もう一度信じてみるという危険を冒すことによって、かろうじてそれは成り立つ。(「予言・約束・夢」より) 

人にしろ物にしろ、変化が起きるとき、閉じながら変わっていく場合と、開きながら変わっていく場合がある。(「開くこと、閉じること」より)

自然はいつも人間の支配を超えた潜在力をもつ。飼い慣らされたように見えても、そのふりをしているだけだ。病いや災い、老いや死を畏怖することは、自然のもつ回復力や治癒力を信じることと表裏一体でもある。(「動物と人間」より)

傷として名づけること。手当てされた風景を残すこと。それでも「何にもならないこと」もあるという事実を認め、その「証」を残すこと。(「傷を愛せるか」より)

#ヒビノクラシ文庫
#閉じながら変わることについてもっと考えたい
#宮地尚子
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ヒビノクラシ文庫から本の紹介その9 ヒビノクラシ文庫から本の紹介その9

選ぶ、ということは、なんて難しいことなのだろうと、ルツはめまいのようなものを覚える。選ぶ。判断する。突き進む。後悔する。また選ぶ。判断する。生きているかぎり、あらゆる瞬間に選択の機会はやってくる。(「一九八八年 ルツ 二十一歳」より)

「いつかは通る道」は、若い頃は二本くらいしか種類がないと思っていた。でも、全然そうではなかった。道は、何本にも分かれてつながっており、右を選ぶか左を選ぶか、まんなかを選ぶか端を選ぶかは、常に不確定で、選んでしまった後になってからしか、自分のたどっている道筋はわからない。(「二〇一三年 ルツ 四十六歳」より)

「それなら、いいじゃない。こまかい心の動きなんて、自分のものでさえ、知りたくないよ、ぼくは。ましてや、よそさまの心の動きなんて、もっと知りたくない」たしかにそうかもしれないと、ルツは思った。知らないからこそ暢気でいられる、ということは、対人関係において、けっこう重要なことだ。(「二〇一七年 ルツ 五十歳」より)

人生という森の中の、今まであなたがたどってきた道は、一本道だったけれど、この先にはまだ道はなくて、どこに歩いていってもいいのよ。そう誰かにささやかれたような気分だった。それぞれの人間の一本道は、ある時よその人間の道と縒りあわされるようにみえるが、やがてまたほどけてばらばらになってゆく。ばらばらのまま併行する場合もあれば、そのまま遠くに離れてしまう場合もある。なんだか、さみしいなと、留津は思う。(「二〇一七年 留津 五十歳」より」

私たちは日々の暮らしの中で、絶えず選択を繰り返しています。つまり、私たちは常に、無数のパラレルワールド(別様でありえた世界)の分岐点に立ち続けていると言えるでしょう。そして、選択しているのは確かに「私」自身ですが、その選択は決して「意思」でなされているわけではありません。実際には、その時々の社会状況や環境、他者との関わりなど、さまざまな要因が影響した結果として選択がなされているのです。

このことについて深い洞察を与えてくれるのが、國分功一朗さんの著書『中動態の世界』です。私たちは「自分の意思による選択には責任を負うべきだ」という考え方に、あまりにも慣れすぎてしまっています。たとえば、「Aを選ぶこともできたのに、自分の意思でBを選んだのだから、その結果についての責任はあなたが負わなければならない」といったように、責任と意思を強く結びつけて捉えがちです。

しかし、本作の主人公であるルツ/留津の思いに共感できる私たちなら、「選択は意思によってなされるものではない」ということが自然と理解できるはずです。國分さんは、「行為(すなわち選択)に対して責任を問う必要があるという社会的要請のもと、後から意思がその行為に付与されるようになった」と述べています。

この考え方は、知的障害のある人の自立生活支援においても重要です。支援の現場では、常に当事者と共に選択を行います。それを指して「意思決定支援」と呼ぶこともあります。しかし、ここで本当に大切なのは、「当事者の意思を正確に見つけ出すこと」ではありません。それは不可能ですし、そもそも「選択は意思によってなされる」ということを前提にした態度だからです。だからそうではなく、選択の瞬間――無数のパラレルワールドの分岐点に立ったときに、どれだけ「別様でありえること」を想像できるかが問われているのだと思います。

そして、そのとき大切なのは、「当事者が(支援者も)別様でありえたこと」と、「支援者の当事者への関わりが深く結びついている」ということです。支援者はそれを強く自覚しなければならないのだと思います。二〇二七年、六十歳になる未来の6通りの留津、流津、るつ、琉都、瑠通、ルツ。そのうちの瑠通に、愛する(執着する)俊郎を殺させないためにも。

ただ同時に、五十歳のルツが言う「自分の心の動きも相手の心の動きも、知らないからこそ暢気でいられる、ということは、対人関係において案外重要だ」も、言い得て妙だと思うのです。当事者とある選択を下すとき、または、下した選択の結果が思わしくなかったとき、執拗な捉え返しは、かえって当事者との関係をこじらせてしまう恐れもあると思っています。

これらの視点は、三井さよさんの著書『知的障害・自閉の人たちと「かかわり」の社会学』から得ました。

最後に、もし『森へ行きましょう』が映画化されることがあれば、主演はお笑いコンビ・ななまがりの森下さんで、主題歌はピーズの「サイナラ」がいい。

#ヒビノクラシ文庫
#中動態
#ダブルコンティンジェンシー
#國分功一朗
#三井さよ
#ななまがり
#ピーズ
#川上弘美
2025.05.24 土曜日のスプーン🥄
旬野菜のキーマカレー
チャナのポタージュ
新じゃがのサブジ
スパイスナッツごはん
ピクルス

最近デザートの写真が無いのですが、バナナケーキ🍌とスコーンも。

珈琲
和紅茶
ハーブティー
しそジュース
梅ジュース

パセリ、トマト、チンゲン菜、玉葱など野菜いっぱいの爽やかキーマと、クリーミーなひよこ豆。
初夏らしいランチでした🪷

#ドネーションカフェ
#スパイスカレー 
#梅仕事 
#練馬カフェ 
#日々の暮らし 
#自立生活
酒のあてを拵える。これから中目黒。
直前すぎますが…
明日『キフバー』というイベントに参加します。
目黒のオシャレなコトノネさんの事務所にて✨️私も楽しみです〜。
まだ予約はできるようです。よろしければぜひ🍸️

https://peatix.com/event/4380411
ヒビノクラシ文庫から本の紹介その8 ヒビノクラシ文庫から本の紹介その8

陽が落ちる直前の渓谷を眺めながら、律は地元の駅へと帰っていた。恵まれた人生だと思った。母親の婚約者に家から閉め出されて、夜の十時に公園で本を読んでいた子供が、大人になって自分の稼ぎで特急に乗って、輝く渓谷をぼんやり眺めている。自分を家から連れ出す決断をした姉には感謝してもしきれないし、周囲の人々も自分たちをちゃんと見守ってくれた。義兄も浪子さんも守さんも杉子さんも藤沢先生も榊原さんも、それぞれの局面で善意を持って接してくれた。自分はおそらく姉やあの人たちや、これまでに出会ったあらゆる人々の良心でできあがっている。(「第三話 二〇〇一年」より)

宇野常寛さんの『庭の話』を読んだときに頭に浮かんだのは、映画『ロビンソンの庭』(山本政志)、『ポラーノの広場』(宮沢賢治)、そして本作でした。上記の引用だけを読むと、家族を基本単位とした古い共同体に代わる「新たな共同体への希望の物語」のように受け取れます。確かにそうした物語であるとも言えますが、そこには喋る鳥ヨウムのネネや、石臼のある水車小屋といった、人間以外の事物と向き合う場が描かれています。

こうした場は、既存の共同体に居場所を見出せなくなった人たちにとって新たな拠り所となり、そんな人たちと社会との間に緩やかな紐帯を築く役割を果たしています。この水車小屋こそが、宇野さんの言う「庭」にあたるのだと感じました。

富士見台カフェを作る際にイメージしたもののひとつに、津村記久子さんの『ポースケ』に登場するカフェ「ハタナカ」があります。『ポトスライムの舟』の登場人物がそのまま登場する『ポースケ』では、何気ない日常の中で人と人とのコミュニケーションが描かれ、そこにはささやかな幸せと、人とのつながりの尊さが感じられます。

そのような『ポースケ』の世界観を、エコロジカルな方向へと拡張した物語が、『水車小屋のネネ』であるように思います。ここで言う「エコロジカル」とは、単に自然環境という枠を超えて、人間を含むあらゆる存在(動植物、非生物、人工物)が複雑に絡み合うネットワークを指しますが、水車小屋が「庭=人間以外の事物と向き合える私的な場所が公的に開かれたもの」だとすれば、ハタナカは「広場=人間共同体のための場所」と言えるかもしれません。

そして今、改めて自立生活とその支援について考えさせられています。理想郷としての広場は、イーハトーブにあるポラーノの広場のように、空想世界でしか成立しないのかもしれません。一方で庭は、『ロビンソンの庭』のマキのように、孤独に自然と対峙した末に発狂するしかないのかもしれません。いつも独りでいる、風変わりな女の子ユウだけが、草に覆われ尽くした廃橋の中で、正気を保っていたのは印象的です。ヒビノクラシで支援している、目をキラキラさせながら砂や水遊びに夢中になれるあの子と照らしながら、ユウの存在について考えているところです。

#ヒビノクラシ文庫
#ロビンソンの庭
#ポラーノの広場
#ポラーノの庭を作りたい
#津村記久子
#宇野常寛
2025.05.17 土曜日のスプーン☔
春キャベツとトマトのポークミルフィーユ
インカのめざめのローズマリーごはん
カブと人参のピクルス
チンゲン菜スープ

ココナッツケーキとバナナのミニパフェ

コーヒー
和紅茶
しそジュース
梅ジュース
等

今日のお昼は大雨(ずっと中にいたので気づかなかったのですが…)、のんびりな1日。
お話しもたくさんできました。

計画、相談、課題、目標、評価…
暮らしの中の、ただなんでもない時間なのにね…

雨の中ありがとうございました😊

#ドネーションカフェ 
#練馬カフェ
#梅しごと 
#自立生活
ヒビノクラシ文庫から本の紹介その7 ヒビノクラシ文庫から本の紹介その7

ワキとは「分ける」人であり、そして「分からせる人」なのだ。(「序章」より)

※能のシテは主役であるが、ワキは脇役(端役)ではない。そんな単純な話ではないとのこと。シテの残恨の思いから、本人ですら整理をつけられない程にぐちゃぐちゃになってしまった状態を、快刀乱麻を断つがごとく「分け」そして「再統合」してくれる役割の人がワキだ。そして、不可視の存在であるシテを、観客に「分からせる」役割を担うのがワキだ。

別に能にこだわる必要はない。人は異界と出会う物語を求めていて、それを提供する物語形式が実はたくさんあるということだ。(「異界と出会うことがなぜ重要か」より)

問いを発し、シテの語りを引き出したワキは、あとは何もせずただワキ座に座って、シテの物語を聴き続けるだけだ。「そんなこと言ってもねえ」とか「わかる、わかる」なんて、下手に口をはさまず、ただ聴く。「何もしない」ということを全身全霊を込めてする。その姿に、「無為の為」を体現する完全受容の「聴く」姿を見ることができる。(「ワキが出会う彼岸と此岸」より)

この現代において、新たな生を生き直すために必要なのは、自分のことを「無用」だと思いなす力であり、過去の自分を「思い切る」という力だ。(「己を「無用のもの」と思いなしたもの」より)

ワキの視点から見ると、能とは「異界と出会う物語」だと言うことができる。その物語によって象徴される出来事は、能以外の世界でも起こり得る可能性をもっている。ふつうならば出会うことができない異界と出会ってしまった衝撃は、私たちに全く新しい世界や、新たな時間(神話的時間)の存在を感じさせ、そしてそういう世界が存在するという確信は、それまでの人生をリセットし、新たな自分を生き直すための約束を私たちに与えてくれる。(「ワキ的世界を生きる人々」より)

#ヒビノクラシ文庫
#ワキとしての支援
#自分のマジョリティ性を削ぎ落とせるか
#思い切って無用になれるのか
#異界と出会い生き直すために
#知的障害当事者視点から見た社会生活はどんな物語なのか
#薪能を観に行きたい
#安田登
2025.05.10 土曜日のスプーン🌿
山独活と芹のカレー
豆カレー
インカのめざめサブジ
人参と玉葱のサラダ
ごはん

キャロットケーキ🥕
スコーン(米粉、甘夏ピール)

珈琲
和紅茶
しそジュース
トニックソーダ
ハイビスカスティー
カモミールティー
等

いつも野菜を買いに行く「地産マルシェ」にこの時期ずっと積まれている独活(うど)。
うどレシピ無いかなーと思いつつ横目に流し、、時期を外してしまう前に何か作ってみようと思い、思い切ってカレーに!
芹(せり)と合わせてみると、ちょっとコリアンダー的な香りもあり、食感もよく、なかなかええお味になりました。見た目地味ですが、満足〜🍛

ランチ満席が続き、テンション高めの方があちこち…大賑わい…!カレーは14:00には売り切れ。ありがとうございました😊

#ドネーションカフェ
#練馬カフェ
#創作料理
#春野菜
#スパイスカレー 
#自立生活とは
ヒビノクラシ文庫から本の紹介その6 ヒビノクラシ文庫から本の紹介その6

土井さんの料理論は、サボることの薦めではありません。土井さんは、料理から過剰なものをそぎ落とし、シンプルにすることで、素材の本質に肉薄しようとしているのです。そして、その行為を通じて、人間と自然の関係を再構築しようとしているのです。土井料理論の背後には、日本の家庭料理を支えてきたコスモロジーと哲学があります。そこには自然にそう生き方を探求してきた無名の日本人の生活史があります。(中島)

まぁ、レシピは設計図ではありませんから。記載された分量とか時間に頼らないで、自分でどうかなって判断することです。自然の食材を扱う料理は、自然がそうであるようにいつも変化するし、正解はない。というよりも、違いに応じた答えはいくつもあるのです。だから失敗の中にも正しさはあるかもしれません。(土井)

レシピ自体が極めて近代的なもので、政治学で言う設計主義なんですよね。人間がすべてをコントロールし、そして、こういうふうにやれば世の中がうまくいくという考え方。けれども現実は、それどおりにはいかないわけですよね。むしろ、そういうものが他者を抑圧してしまったり、枠の中にはめようとして暴力的な行為をおこなったりする。この設計主義をどのように超えていくかは政治学にとって非常に大きな問題なんですけれども、それをおそらく土井さんはレシピを超えるということを料理人としてされている。(中島)

先に結果を考えていると、自分の感覚所与ほとんど使わない。結果がレシピのようなもので決まっているとしたら、それは料理をしていることになるのかということですよね。私でさえ自分のレシピを利用すると、感覚を使わなくなります。なにかに頼った瞬間に自分はサボりだす。自分のレシピであるとしても、レシピどおり作ったとしたら、それは70点以上にはならない。自分の感覚を使いながらつくると、100点、あるいは120点のものが出てくる可能性もある。(土井)

#ヒビノクラシ文庫
#ジルクレマンの庭と土井善晴の料理
#ヒビノクラシが理想とする支援
#個別支援計画はいらない
#いい加減でええんですよ
#まぁだいたいでええんですよ
#土井善晴 
#中島岳志
2025.05.03 土曜日のスプーン🥄
本日のメニュー
カレーライス(カレールー2種類使用)
カリフラワーとピーマン2種のココナッツオイル炒め
水菜と甘夏ピールのサラダ、キヌアサラダ添え
野菜の漬物

おやつ
白桃寒天ミルクゼリー
スコーン(米粉のプレーンor甘夏ピール)

#土曜日のスプーン 
#ドネーション制カフェ 
#土曜日だけ 
#ヒビノクラシ富士見台カフェ 
#重度訪問介護
#重度訪問介護ヘルパー 
#ヒビノクラシ
ヒビノクラシ文庫から本の紹介その5 ヒビノクラシ文庫から本の紹介その5

「十分お金があるのにまだ儲けることを考えてる」人々と「いくら働いても貧しいまま」の人々が何かを共有できそうなきっかけを作ることは、美味いフィッシュ&チップスにしかできないのである。(「フィッシュ&チップス」より)

かつて、コーヒーには必ず砂糖を入れて飲むという人物に出会ったことがある。虫歯や糖尿病をまったく気にしてないということが問題なのではなく、その人は奴隷制時代の人々の痛みや、それを飲むことの罪深さを忘れないようにするためだと言っていた。格好つけすぎである。偽善である。鼻持ちならない形而上的思想である。しかし、もはやそうではないものがあるのだろうか?絶対に砂糖を入れてコーヒーを飲む行為を警句にしなければならないのではないか。口にするもの、身につけるもの、身に施すもの。その原料はどこから、誰の手によってもたらされているのかを考えずして、そして考えた末に頭を抱えずして、享受できるものなどないのではないか。(「サマープディング」より)

誰が作り、食べるのか。何を作り、食べるのか。どこで作り、食べるのか。同じ料理でもその価格帯は幅広く、それぞれの価格帯にアクセスできるものはあらかじめ決められてはいないか。(「あとがき」より)

#ヒビノクラシ文庫
#土曜日のスプーン
#みんなに同じ料理を提供
#お代はそれぞれの懐事情に合わせて
#ドネーションカフェ
#カオスフーズ
#カオスとコスモスが美味しい料理で相互浸透する
#コモナーズキッチン
2025.04.26 土曜日のスプーン🌷
山椒と香菜のジェノヴェーゼニョッキ
こごみのマリネ
ラディッシュの梅漬け
パン
みそ汁

甘夏ピールとバナナのケーキ
スコーン(カルダモン、全粒粉)

珈琲
和紅茶
さんぴん茶
しそジュース

今日もたくさんのお客様で賑わいました。
京都から届いた木の芽(新芽)のソース、新じゃがのニョッキ、こごみと、春の香りのメニューでした🌿

#ドネーションカフェ
#富士見台カフェ
#練馬カフェ
#季節の食べ物 
#山菜 
#支援 
#自立生活
ヒビノクラシ文庫から本の紹介その4 ヒビノクラシ文庫から本の紹介その4

生理や本能と思われているものは、しばしば文化的なものである、あるいは少なくとも文化的な要素に左右される。とりわけジェンダー論を通じて、こうした考えは一般論としてそれなりに共有されるようになってきている、とは思うのだが、とはいえ、個別の現象については、指摘されてはじめて気づくことも多い。(「虫と本能」より)

それらは、現実を覆い隠すための物語ではなく、現実を読み解き、編み直す物語だ。大都市と山地とをつらぬく電車に乗るわたしは、車輪の下で死んだ人間たちと動物たちが、交じり合ってひとつの大群をなし、憤然とどこかへ進んでいく光景を夢想する。(「車輪の下」より)

不意に顔を出した艶笑譚から、筆者は目を背けない。「昔のひと(あるいは、田舎のひと)はおおらかだ」などと言ってごまかしたりもしない。代わりに、話の素地となる労働のつらさ、その労働を耐えられるものに変換すべく交わされる民話−−文字どおり、民の話の、根源的な役割に思いを馳せる。(「株分けと民話」より)

#ヒビノクラシ文庫 
#知的障害を文化的構築物として考える
#クニナマシェ
#民話としての介護ノート
#笠間直穂子
土曜日のスプーン2周年

#土曜日のスプーン 
2周年記念特別ケーキ
#パブロバ #パブロワ 

4/1で土曜日のスプーン2周年となりました。
1周年に引き続き、2周年も休まず営業できました✨

いつもご来店いただきありがとうございます!

これから来ようと思っている方お待ちしています!

とりあえずインスタ見てそのうち行けたら…なんて方も
いつかお会いできるのを楽しみにしています😊

これからもどうぞよろしくお願いします!

#ドネーション制カフェ 
#土曜日のスプーン 
#土曜日だけ営業 
#ヒビノクラシ富士見台カフェ 
#重度訪問介護ヘルパー 
#重度訪問介護 
#富士見台駅近く
2025.04.19 土曜日のスプーン☀
筍ごはん
菊芋とキノコのグラタン
梅じそポテトサラダ
キャロットラペ
菜花と筍のおすまし

筍を手に入れられて、念願の筍ごはんを土鍋で。以前山の中に住んでおり毎春30〜40本は掘っていました…スーパーで買うとちいさいこと…
ヒビノクラシ文庫から本の紹介その3 ヒビノクラシ文庫から本の紹介その3

生は誰に対しても特段に好意的ではない。それを知りつつ歩むとき、私に降りかかってくるのはみぞれ。額を、眉を、頬をやさしく濡らすのはみぞれ。すべてのことは、過ぎ去ると胸に刻んで歩むとき、ようやく握りしめてきたすべてのものもついには消えると知りつつ歩むとき、みぞれが空から落ちてくる。雨でもなく雪でもない、氷でもなく水でもない。目を閉じても開けていても、立ち止まっても足を早めても、やさしく私の眉を濡らし、やさしく額を撫でにやってくるのはみぞれ。(「みぞれ」)

#ヒビノクラシ文庫 
#日々の暮らしの営みは連作散文詩のように
#降りかかってくる
#落ちてくる
#やさしく額を撫でにやってくる
#斉藤真理子さんの翻訳が素晴らしい
#ハンガン
本日の後半戦は「たすけあってなんぼ」初の集まり。防窮研究所(https://www.poverty-prevention.net/)、アマヤドリ @amayadori_official 、ヒビノクラシ。分野の異なる対人援助職の集い。とても有意義な時間でした。
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